赤ちゃん寺
手術の日、産院から「赤ちゃん寺」を紹介されていました。
有名なお寺なんですね。
体調が回復してから、主人と行きました。
写真はお寺の人懐っこい猫。
以来、毎月お参りしています。
いつ行ってもお供えのお菓子やぬいぐるみがいっぱいで「ここなら寂しくないね」と主人と話しました。
卒塔婆も、たくさんあります。
訪問するたびに新しい卒塔婆が増えています。
こんなにたくさんの小さな命がひっそりと亡くなっているのかと思うと、やりきれない気持ちで胸がいっぱいになります。
生まれてくるって本当に奇跡。
お菓子やジュースは、未開封のものに限り学童へ寄付されるそうです。
お供えにもなるし、子供たちの役に立つならとてもいいことだな、と思いました。
周りの妊婦さん
街中や電車で遭遇する知らない妊婦さんや乳幼児連れを見ても、心を掻き乱されることは特に無いし
テレビはめったに観ないので、おむつのCMに涙することもないのですが
職場の妊娠ラッシュには参ってしまいます。
すでにおなかの大きい妊婦さんが2人いましたが、1人は私の自宅安静期間中に、もう1人は夏の終わりに産休に入りました。
奥様が第2子を妊娠中 とか
孫が増えます という男性社員もいます。
他部署だけど同じフロアの女性が、2ヶ月目からマタニティマークを付けていました。
彼女は私とほぼ変わらない時期にご懐妊された様子。
私は初期の頃、電車に乗るときは付けていましたが、職場にはマークは隠していました。まだ報告してなかったし流産の可能性もあるから…と気にしていたので。
で、心配していた初期流産になったので、状況を知っているのはごく限られた人たちだけです。
なので、そんな早い時期から平然とマタニティマークを見せる彼女には、憤りすら覚えました。
彼女には何の関係もない。
けれど、真っ暗な気持ちに沈んでいる目の前で、幸せそうな妊婦さんが「のほほんと何も考えていない、ただの事務員」と歪んで見えてしまいました。
なんで私はダメだったのに、あの人は無事なの?
身も心もぺったんこの私とは対照的に、すくすく膨らむ彼女のおなか。
挨拶する程度の間柄でしたが、流産後は姿を見るのも辛く、すれ違うときは俯いて逃げるように立ち去っていました。
あと、同じ部署にももう1人いたのです。
同じ時期に入社した庶務の女性。新婚でした。
小柄でおなかが目立たなかったため確信はなかったけど、入社後しばらくしてワンピースを多用するようになったり、オレンジジュースをよく飲んでいたので (もしや?) とは思っていました。
10月、朝礼で部長が
「庶務さんが再来週から産休に入られるとのことで、交代の派遣さんが新しく来られます」…
あー やっぱり
と納得したけど、事実として突きつけられるとかなりショッキングでした。
気が付けば、手が震えていて
爪が掌に食い込むほど強く握りしめていました。
痛みに自分で驚きました。
彼女が産休入りする日は、ちょうど私の産休開始予定の1ヶ月前。だから、私より1ヶ月先に妊娠していたということになるな…と、朝礼中に計算していました。
気を取り直して仕事を…と自席に戻った矢先、
上述の他部署の妊婦さんがママさん社員(育休明け復帰したばかり)と談笑していました。
「いま何ヵ月?」
「もうすぐ6ヶ月で…」
と、私の席の近くで会話しています。
もう、いてもたってもいられず
トイレに駆け込んで泣きました。
産休で抜けていった先輩たち。
8ヶ月の同期。
7ヶ月のはずだった私。
6ヶ月の同僚。
育休から復帰した先輩。
ご家族がおめでたの男性社員たち。
なんで私だけ こんな目に遭ったの?
何がいけなかったのか?
私が悪い人間だからなのか?
あの人たちは呑気にやってるのに
私ばっかり苦しい つらい 悲しい
久しぶりに大泣きしました。
自分は無力で、欠陥品なんだと思えてならなかった。
これまでの人生、努力すればするほど結果は応えてくれたし、努力しなければ望むものは手に入らなかった。自分の人生は自分の責任と思っていたけど、今回はじめて自分ではどうにもならない出来事に直面して、心をまっすぐ保てなくなっていたのかもしれません。
もう仕事にも手がつけられなくて、
午後休を取りました。閑散期で助かった。
会社を出たその足で、赤ちゃん寺に行きました。
お線香を上げて、しばらくぼーっとベンチに座っていました。
会いたかったのに。
どうして行ってしまったの?
私がママじゃいやだった?
君は、どんな子だったんだろう。
どんな顔をして、どんな声を出して、
きっと賢い子になっただろう。
夫に似て目元がパッチリしてるといいな。
私の色白なところにも似てほしいな。
心の中でたくさん話しかけて、家に帰りました。
この日の大きな衝撃は、予想より尾を引きませんでした。
早々に「ストレス源(失礼な言い方ですが…)」と距離を置いたから、ダメージも少なく済んだのだと思います。
翌日からは何事もなく仕事に戻りました。
母子手帳
交付された母子手帳ですが、
流産後は特に返納等の義務はないようです。
(※自治体による)
私は、流産が判明してからは
日記帳がわりに使いました。
もう記入されることのないスカスカのページ。
妊娠が分かってからの体調の変化
流産の診断後の感情の変化
記録していくことにしました。
母子手帳と一緒に渡された受診票や児童手当申請書などは、残念ながらもう出番はありません。
以前の記事で、私の両親が看護師だと書きましたが、母は現在は看護学校の教官をしています。
なので母子手帳以外の書類一式は「教材に使って」と母に寄付しました。
特に受診票は(妊娠が継続すれば)どんどん千切られて手元から無くなるし、かつ教材用に欲しいと言っても簡単に入手できるものでものではないので、重宝がられました。
多少でも、役に立てればいいと思って。
7/4 経過観察と風疹ワクチン
午前中だけ会社に行って、午後から病院へ。
手術後の経過観察です。
特に問題なし。
次の妊娠は、生理2回は見送ってから。
その足で別の病院へ行き、予約していた風疹ワクチンを接種してもらいました。
初診時の血液検査で、抗体が足りないことが分かっていたので。
区の助成を利用できたので無料でした。
ちなみに夫も区の助成で接種済み、その後も検査して抗体がちゃんと付いたことを確認しました。
7/2 また休み
起床したら、昨晩の軽い頭痛がひどくなっていました。
理性では、また休んだら迷惑だよな…と思いつつも、迷ううちに起き上がる気力もなくなりました。
会社に欠勤の連絡を入れた途端に
なんて情けない…
と、罪悪感でいっぱいになりました。
話を聞いてもらいたくて、母にLINEをしたら
「無理しないでいいんだよ。心と身体が訴えてくることを押し込めないで」と返事が来ました。
謎の頭痛はその日のうちに治まりましたが、
もう少し休みが必要というサインだったのだと思います。
翌日はきちんと出社しました。
7/1 職場復帰
1週間ぶりの出社です。
職場のみんなのお陰で、仕事は回っているようでした。
昼休みに食堂でひとり食べていると、
「ご一緒して良いですか」
と事情を知っている部長に声を掛けられました。
心配かけてるんだなぁ…
特に流産や手術のことには触れず、他愛もない話だけしてました。
「今週は残業しないでね」と定時で帰らせてもらいました。
帰宅したら、ちょっと頭痛がありました。
6/27~30 自宅安静
この期間は家事も休ませてもらって、
ずーっとゴロゴロしてました。
翻訳の課題をするためにPCに向かう時間もあったけど、それ以外はベッドでamazon prime観てました。
土曜日の翻訳の授業は欠席。ただ課外活動のグループの打ち合わせはLINE通話で参加しました。
自宅安静の最終日、なんだかもう大丈夫な気がしたので夕食は近所のファミレスへ行くことにしました。
でも、出掛ける準備をしながら少し風邪っぽいだるさが出てきて…夫も外出したがっているし、いまさら行かないと言い出せなくて無理やり家を出ました。
が、食事中もしんどくなる一方。
やっぱり休んでいればよかったと後悔。
帰宅後、地元の友人からLINEが来ました。
内容は「子どもが生まれました」
なぜ、このタイミング…
頻繁に連絡を取り合ってはいなかったので、彼女が妊娠していたことも初めて知りました。
グループLINEへの連絡だったので、みんなから続々と送られる「おめでとう!」の返信。
私も、当たり障りないお祝いと身体を気遣うメッセージを送信して、スマホを伏せて就寝しました。