6/26 掻爬手術
10時に病院へ行きました。
看護師長に病室に案内され、手術着に着替えます。
ケチって相部屋を選びましたが、幸い先客はいなかったので個室のように過ごせました。
1時間ほど待たされましたが、その間はテレビを観たり翻訳の課題をやったりして過ごしました。
手術室に通され、手術台に寝転びながらいろいろ取り付けられていきます。
心電図、指先に脈クリップ、左腕に点滴
肩に麻酔の前駆薬(みたいな呼称だったかな?)を2本打たれましたが、痛かった…
準備がどんどん進んでいきます。
自分の心電図の音(ドラマでよく見るピッ…ピッ…ていうやつ)が気になって、脈拍が早くなりました。
看護師さんが「音で緊張するよね~」と声をかけてくれ、麻酔が効くまでずっと手を握り、左肩をさすってくれました。
人肌って緊張をほぐすんですね。
口に酸素マスクも当てられて、ここからメンソールみたいなヒヤッとした空気を吸い込みました。
膣の前処置が痛くて、傷ついて損をするのは女ばかりだと心から思いました。
早く寝てしまいたくて、本麻酔のヒヤッとした空気を2回大きく吸い込んだところで、意識がなくなりました。
アルコールに弱いから、麻酔の効きがいいんだな
次に目を覚ましたときにはもう病室のベッドに寝かされていて、看護師長が様子を見に来たところでした。
たぶん何か声を掛けられて、ハイと返事をしたような気がします。しんどくて、またすぐ眠ってしまいました。
その後は1時間おきに起きて、トイレに行くよう促されました。
12時間前から絶食絶飲してるのに2回もおしっこが出たのには驚きました。ずっと点滴を打っているから?
夕方にはすっかり起きて、出された夕食を食べていたら主人が迎えに来てくれました。
生姜焼き定食、美味しかったです。
そういえば口コミで「ここの食事は美味しくて毎回楽しみだった」と誰かが書いていました。
初潮のとき、母に
「望まないセックス・妊娠には気を付けなさい。傷付くのは女性の方なんだから」
と言い聞かされたことがあります。
今回は自然流産が理由で手術を受けたけど、心身ともに女性の負担が大きいということを身をもって知りました。
主人はとても悲しんでくれたけど、
男だからつわりも無いし手術で血を流すことも無い。
神様は男女のつくりの違いを大きくしすぎじゃないかと思いました。
6/25 稽留流産
夫と病院へ行きました。
やはり心拍は止まっていて、翌日手術することになりました。
自宅までは夫の運転で帰りました。
一言も喋らない車内。
何を話せばいいのか…言葉が見つかりません。
母親にLINEを送るのが精一杯で、
すぐに掛かってきた電話に出ることができませんでした。
とても話せる状態ではなかった。
夫の両親には、夫から電話で報告してもらいました。夫伝いに「身体に気をつけて」とだけ声を掛けられました。
以前に義母も最初の妊娠は流産になったと聞いていました。いつもは息継ぎしてるか怪しいくらい喋り倒してくるのに、私も流産になって、責めることなく構いすぎることもなくそっとしておいてくれたので助かりました。
両家とも初孫だと喜んでくれていたのに、落胆させてしまいました。
この子と離れたくない!
つわりが続いてもいい、気持ち悪いのも我慢するから、ずっとおなかにいてほしい!
会いたかったのに、もうお別れなんていやだ!
毎晩のように泣き暮れていました。
6/21 心拍が止まった?
3回目の健診
大きくなった我が子のエコー写真が見れる~
そろそろ出産予定日も分かるかな?ワクワク。
エコーでは手足頭の形がなんとなく分かりました。
かわいい! にんげんだ! 正面を向いている!
だけど、先生は何も言わない。
しばらくいろいろな角度から確認して
「うーん」
「心臓がはっきりしないなぁ」
ん?
どういう意味だろう。
よく分からないのに「あぁー」と生返事してました。
いろいろ画面を切り替えたりしながら、先生はじっくり何かを探しているようでした。
エコーが終わり、着替えるときに助産師さんに
「さあ、あとで先生のお話聞きましょうね」
と優しく声を掛けられ
まだこのときも状況が飲み込めてなかったけど、
よくないことになってるんだ
ということだけはぼんやり理解しました。
心拍が確認できなくなったこと
血流を映す映像も、正常でなかったこと
先生から説明を受けました。
血流の映像は、順調に発育している場合のサンプルと私のものを並べて見せてくれました。
ちゃんと育っていれば、1本の赤い線が映り、へその緒が心臓に向かって伸びているのが分かるようなエコー写真になるそうです。
私のは、胎嚢と全く関係ないところが赤くなっていました。
残念だけど、今回はダメな可能性が高い…
そう言われて泣いてしまいました。
まったく信じられなかった。
立ち会いの助産師さんが、背中をさすってくれました。
別室に移動して採血されながら、助産師さんが慰めてくれました。
「私も同じ経験があってね。当時は家に帰ったあと、これ以上ないくらい泣きまくって。一生分の涙を流したんじゃないかってくらい。でもね、そのあと妊娠したらポンポーンって簡単に産まれてきたのよ。だから大丈夫」
とても優しかったです。
でも、まだダメと決まったわけじゃないのに…諦めたくない…と頭の片隅で思っていました。
『少し腹痛はあったけど、1滴も出血はなかったんです。全く気付かなかった…』と話すと
「ママを苦しめない 良い子なんだね」と言われました。
涙が止まりませんでした。
私が泣き止まないので、診察台で少し横になってていいよと連れていってくれました。
もともと採血しにくい腕なのに、血の気が引いたのか何なのか、なかなか血管を捉えられない様子でした。
助産師さんはまるで自分のことのように気が動転していて、心に寄り添ってくれました。
病院を出てから駅に向かう道中も涙が止まらず、泣きじゃくりながら夫に電話しました。
彼も「まさか」と信じられない様子で、でも一生懸命なぐさめ励ましてくれました。
私は仕事を午前休にしていたので、
会社に行かないと…と奮い立たせて電車に乗りました。
そろそろ上司には話しておこうかなーと思っていた今日の今日、流産になったので来週休みますと言わなければいけないなんて。
午後出社し、会議室で上司にかくかくしかじか話すとやっぱりまた涙が出てきたのですが、それまで黙って聞いていた上司が
「うちも同じだったよ」と一言。
奥様も同じ9週目くらいに流産を経験されたそうで。
上司が海外出張に行く日、まさに搭乗待ちしているところに泣きながら電話がかかってきたそうです。
よくあることだから、次があるからきっと大丈夫と言われました。
その後は奥様の年齢と身体への負担を考えて、「妻が36歳のときに子供は諦めた」と。
「幸せの形は人それぞれ。子供を持たない人生でも幸せに過ごすことはできる。妻は今も僕に対して申し訳ない気持ちがあると言うけれど、そんなの…関係ないよ。僕は今、夫婦2人だけの人生で幸せなんだ。
でもDonnaさんはまだ若いから大丈夫、また頑張れるよ」
分かってもらえる上司に恵まれて、本当に良かったです。
そのあとすぐ引き継ぎに入り、翌週は月曜以外ほぼ休めることになりました。
帰宅後、夫の前で大泣きしました。
ちゃんと人間の形してたのに、すごくかわいかったのに、なんでこんなことになったの?
なんで私が?
「きっと、いたずらっ子なんだ。隠れてるだけだよ。次に見たらまた元気に動いてるよ。可能性はある」なんて夫は一生懸命に慰めてくれました。
妊娠が分かって、喜ぶより先に仕事や学校の心配をしたから…
あのとき、冷房で寒かったのに羽織りものを用意しなかったから…
おなか痛いのに病院へ行かなかったから…
あのとき走ったから…夜更かししてたから…
私が自分勝手だから…
私がダメな人間だから…
こんな母親のところになんか来たくないよね…
そうではないと分かっていても、
そんなことばかり考えていました。
6/14 母子手帳交付
会社が休みの日に地域の保険福祉センターへ行き、母子手帳の交付を受けました。
そのまま保健師さんと面談を受け、体重管理や冷え対策などの指導と、児童手当や子育て支援サービスの案内がありました。
私の区では赤ちゃんグッズのプレゼントがあって、マザーズバッグや新生児肌着などから1つ好きなものを選ぶことができます。
私は肌着を選びました。何枚あっても困らないと思って。
1ヶ月以内に自宅に郵送されます。
もうひとつプレゼントとして、図書館で絵本2冊を配布しているそうで、引換証をもらいました。
図書館は保険センターの向かいにあるので、帰りがけにそのまま受けとりました。
あとは、赤ちゃん本舗でマタニティブラも購入。
締め付けがだんだん苦しくなってきていたのです。
この日は会社が休みのせいか、つわりが全くなく体調絶好調でした。
6/7 心拍確認
2回目の健診
今日は夫も一緒です。
基礎体温をアプリで記録していたので、紙に転記したものを持参しました。
低温期の最終日から高温期に移るまでに数日かかっていて、排卵はズバリこの日! というのまでは分からないとのこと。
心拍も見ることができましたが、エコーを大きく拡大してやっと、ポンポンポン…と点滅しているのが見えるくらい。
立ち会いの助産師さんと一緒に「おぉ~」と声を上げました。一安心。
母子手帳をもらってくるよう言われました。
この頃にはつわりも始まっていました。
私は食べつわりで、空腹が気持ち悪い。
あっさりしたものでないと受け付けなかったので、納豆巻きをよく食べていました。
数日後、夫の両親にも報告しに行きました。
5/24 初診
口コミが非常によい近所の産院を2つ見つけました。
第一希望に初診の予約をしようとするも、なかなか電話が繋がらず…
やっと出たと思ったら
「初診予約は16時以降にお電話ください」
と。
えぇー…
仕方ないので16時に掛けなおしました。
また何分も待たされて…
ようやく窓口に漕ぎ着け、最終生理日を訊かれました。里帰りまでの一時的健診など自己都合の転院は認めない産科で、ここで出産することを前提としないと受け付けてもらえないので、最初に分娩予約までするからです。
それで最終生理日は4月10日と答えると
「あー、もう埋まってますね」
『え、どういうことですか?』
「最後の生理が4月10日の方の分娩予約枠がいっぱいなので、今は受診いただけませんね」
もう埋まるの…?
『キャンセル待ちはできますか?』
「最初は他院で健診を受けておいてください。10週頃に出産予定日が決まると思うので、そしたらその確定した出産予定日の分娩予約でキャンセル待ちはできます。予約枠が繰り上がったら当院で健診を受けられます」
『じゃあ、今は予約すらできないんですか?』
「そうですねー」
え、えぇ~
そんなのアリ?
てか、そんなに予約殺到してるの?
生理日が同じ人が、そんなにいっぱいいるわけ?
まだ4週か5週だよ?早い人はもう申し込んでるの?
予約枠が少ないのか、相当絞ってるのか…
で、第2希望の産科に行くことにしました。
(こっちは予約不要)
問診して内診して、エコーでは7mmの胎嚢を確認できました。
最終月経日から起算すると6週目だけど、その割には小さいから排卵が遅れていた可能性があるそうです。
確かに4月に転職したばかりで、多少のストレスはあっただろうなと納得しました。
夫と私の両親にLINEで報告。
私の両親は看護師なので、産院選びから相談に乗ってもらってました。
5/19 妊娠検査薬で陽性
結婚して1年、避妊をやめて10ヶ月。子供は早く欲しかったし、双方の両親からもせっつかれていたので
「そろそろ不妊治療も考えなきゃいけないかな…」
と思っていた矢先のことでした。
ある日のホットヨガ中、合蹠のポーズ(がっせきのポーズ:足裏を合わせる)で脚の付け根に違和感あり。
運動しすぎたあとのような疲労感でした。
股関節を痛めたのかなー、心当たりないなと思ったものの、レッスンが終われば何事もなく徒歩で帰宅。
ただ翌日と翌々日は夕方になるとまっすぐ歩けなくなるほど痛みはじめ、片足立ちができないので靴の着脱もヨタヨタでした。
その時点で生理は数日遅れていましたが、私の生理周期は30~34日と長めで、ルナルナの予測は毎回はずれていたので最初は気にしていませんでした。
ただ基礎体温で高温期が17日を超えたあたりから「もしや…?」と思い、毎日“高温期 ○日目”で検索しまくり。
もし陽性が出たらホットヨガは行かないほうがいいと思い、5/19に検査薬をやってみました。確か、高温期19日目。
うーっすら陽性でした。
旦那に見せたら、喜んでくれました。
私はというと、
やっぱり という納得感。
妊娠できた という安心感、喜び。
身体の変化に対する漠然とした不安。
4月に転職したばかりだから、職場に迷惑をかけてしまうという心配。
だけど産休育休で仕事に行かなくてよくなるからラッキーという安易な思い。
週末に通っている翻訳学校も両立できるかという懸念。特に、出産予定日が年明け1月半ばで、学校修了は3月→制作会社のトライアルを4月に控えていて、ちょっとタイミングが難しいなという懸念。このときは、学校の正月休みと出産時期が重なってくれれば欠席しないで済むだろうか…?などと計算していました。